四九日①

母が亡くなり、早四九日を迎えました。

生前、色んな事がありましたがその一つ

一つを思い出す度に、後悔と自責の念に駆り

立てられます。

母の介護には、3年付き合わされました。

月日が経つにつれ、介護のストレスからか

母を叱責したり、子供扱いにしたり、食事

も冷めた弁当を食べさせたりと、、

私の介護生活に点数をつけたなら、減点

ばかりです。

度重なる転倒で大怪我をする母、、

いよいよ介助無では、歩く事が出来なくなっ

た母の状態をみた担当ケアマネージャー

さんは、、

「ミチさんを、これ以上一人にしてあげる

事は困難ですから、施設を検討されたら

いかがでしょうか、、」

と聞かされた時、私は内心ホッと致しまし

た。

ですが、本当に介護の限界を迎えたの

か、、

日頃慣れ親しんだ家で最期を迎えさせて

やる事は出来ないのか、、

母は、私の事を恨んではいないだろうか、、

そんな事を考えながら、昨年7月に本人の

意思を十分確認しないまま、知人の紹介で

大阪の介護老人ホームに入所させました。

「お母ちゃんの事考えたら、施設しか

アカンといわれたし、入所してもええか」

と言うと、、

「私は、大丈夫やぁ、、」

と笑顔で言ってくれていましたが入所前に

母の見舞いに来られた方には

「施設には、入りたくない、、」

と話していた様です。

後で聞かされた時は、胸が張り裂けそうな

気持ちになりました。

入所して間もなく、母やその同じ階の

入所者に対し、職員が虐待したと母からの

証言が有り、、

「帰りたい、、帰りたい、、」

と涙ながらに電話で私に訴えました。

施設長には、対策を講じて頂きましたが

お母様は、ボケてらっしゃる、、

職員がするはずがないなど、まともに

話を聞いてもらえませんでした。

母は、施設や職員の不信感は拭いきれず

その後も私に帰宅したいと懇願しました。

私は、母を受け入れて下さる滋賀の施設を探

しましたが待機者も多く、直ぐに入所できる

ところは見つかりませんでした。

それから携帯電話による励まし作戦がはじ

まりました。

「お母ちゃん、毎日僕に電話しといで、、

電話してたら、職員も意地悪できんやろ、、

いつでも電話しといで、、」

と、母に伝えました。

すると、母から毎日の様に電話がかかって

きました。

「今日のご飯は、美味しかったか?今日は

何して過ごした?意地悪な職員はいるか?

よく寝れてるか?」

多い時には、10回〜何度も母から私の

携帯電話にかかってきました。

ときには、夜眠れないのか夜中の2、3時にか

かってきたりもしましたが

「おはよう、朝早いなぁ、、お母ちゃん

まだ、お日様上がってないし寝させて、、」

といいながら母と早朝迄会話致しました。

でも、その様な生活が半年位続いた頃

母の持病の心不全が悪化し、入院生活に入り

ました。

先生は

「お母様は、これ以上良くなる事はございま

せん。出来れば、療養型施設に入所してみて

はいかがでしょう、、」

とご提案を頂きました。

その後も母は、入退院を繰り返しましたが

3回目の入院した時に受け入れ先の施設が

見つかりました。

地元滋賀の療養型施設で以前リハビリで

お世話になった施設でした。

その事を母に伝えると

「ホンマか!帰れるんかぁ、有難う、、

有難う、、」

と子供の様に喜んでくれました。

ですが、母と交わした会話はその言葉が

最期となりました。

病院に駆けつけた時には、意識はなく

そのまま、息を引き取りました。

つづく

 

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