今年で58歳になった私は、行者としてのピークを迎ええ様としています。学生時代、全日本柔道の合宿や大峰山登拝修行に明け暮れ、人並み以上に体力には自信が有りました。ですが、行者としての知識や智慧と言ったものは、この歳になってみないと分からない事だらけでした。よく、スイも甘いもと言いますが、人は色んな人と交わり、経験を積む事でカドが取れ、段々丸くなって行きます。最初は、正しい事ばかりに目を向けていても、実際の社会や環境は、矛盾した世界である事に気付かされ、次第に世の中のギャプに何度も挫折を味わいながら、その生活に馴染もうと努力します。そして、それが世の中だと感じ始めると、今度は、本当にこれで良いのかと、自問自答しながら今があります。だから今の私は、鑑定という仕事として捉えるのではなく、人の気持ちになって寄り添えるのかもしれません。例え悪人であっても、何故その様な心境になったのか、、。浄土真宗の開祖、親鸞聖人の悪人正機の意味が、ようやく理解出来た様な気がします。
悪人正機
「阿弥陀仏の本願は罪深い悪人を救済することであり、悪人こそ仏の教えを聞いて悟りを得る能力・資質を備えた、往生するにふさわしい者であるということ。」
次回つづく