8月に入り厳しい暑さが続く毎日ですね。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私の方は、14日に父の初盆が終わり次第、千葉のお寺に施餓鬼供養に参加します。
この季節は滝のような汗を流しながらお経をあげるので、下着とタオルは多めにもっていきます。
弟と父の死に直面し、ふと思うことは全ての事象は、
他人ごとではなく、いつの時代にか経験する事になるのでは
ないかと思うのです。
テレビやニュースで起こっている事柄は、自分とは関係ない
と思っていても、いつかは自分も同じ経験するのではないかと
思うのです。
ですから、何事にも関心を持つように心がけています。
それだけ、年を重ねたという事かもしれません。
まだまだ若いと思っていましたが、今年で51歳を迎えます。
わたしにも、確実に老いを感じる事柄が多々目立ってきました。
特に名前がすぐに出てこなくなりました。何とも情けない事です。
しかしながら、これは老いではなく、自分が関心を持っていないから
このような事になるのだと日々反省しております。
無関心は、自分を老いやるだけではなく人間としての機能まで低下させる
ものと思えてきます。
無関心でいることは、孤独を自らつくりだしているともいえます。
孤独は、人の世話をやくこともないし、やかれることもない世界です。それでは、人間として生まれてきた
甲斐がございません。
相談者の中に「私は人の世話を受けたくないんです」と言われる方がいますが、この世に人の世話なしに生きて
これた人はいません。世話を受けたならそれ以上の世話をやく自身がないからそのように考えるのです。
いつか、このご恩に報いる人間になりますと思う気持ちが大切だと、私は考えます。