Aさん70歳女性から、電話が有りました。「先生、以前お世話になったAです。友人Dさんに裏切られて、精神的に参っています。でも、どうしても許せません。私は、彼女に誠心誠意尽くして来ました。12年ですよ、、。それなのに、先日、私が体調を崩して家で休んでいると、ヒョイと彼女が訪ねて来て、暑い日だったので、冷蔵庫のスイカを食べる様勧めました。すると、彼女は食べた後、片付けもせず、帰って行きました。あの子は、私の事はどうでも良いんです。もう許せません。こんな人、どうしたら良いですか?」と、怒り心頭の様子でした。「その方と、縁を切られては如何ですか、、。」「ダメです。今まで、世話した分を返して貰わないと、気が済まないです。」と、噛み合わない会話が続きました。今のAさんには、何を言っても理解して貰えないと思い、結局答えを見出せないまま、電話を終えました。高齢になると、他人に対する依存度が増えてきます。老後になっても、友達が沢山いた方が楽しいはずと、思う方も多いかもしれませんが、仏教では少し違った視点があるのです。お釈迦様は、人生の後半での孤独の重要性について説いています。多くの人が老後の楽しみとして、友達との時間を想像します。しかし、お釈迦様は、これとは逆の意見を持っていました。老後、孤独になる事を恐れる人は、多いと思います。家族が遠くに住んでいたり、パートナーを失ったり、、孤独を避けたい気持ちは分かります。しかし、仏教の視点から見ると、孤独は恐れるものでなく、むしろ歓迎するべきものなのです。ある日の事、お釈迦様のもとに、一人の老人が訪ねて来ました。彼は昔から沢山の友人に囲まれ、楽しい生活をしていました。しかし、老後の生活に少し寂しさを感じていた彼は、お釈迦様に「老後の寂しさを、どうすれば良いか?」と相談したのです。すると、お釈迦様は老後に友人は必要ないと言われました。この答えに老人は驚きました。続けてお釈迦様は、次の3つの教えを説かれました。
①自分と向き合う為の孤独
お釈迦様は、人生の終わりに近づいた時、自分の心の奥底にある本当の自分と向き合うべきだと説かれました。他人と関わりが多すぎると、それに囚われてしまい、自分を見失いがちなると、語られました。老人は、友人との関係にエネルギーを注いでいた自分を思い返しました。多くの友達と会う事で、逆に自分の心を見失っていた事に気付いたのです。彼は、若い頃は友人と過ごす事で、自分の存在価値を感じていた事を思い出しました。しかし、年を重ねるにつれて、ただ自分の心に耳を傾ける事の大切さを忘れていたのです。老人は、孤独になる事の実践の中で、少しづつ心の中に余裕が生まれていくのを感じました。朝には一人で散歩し、鳥のさえずりや風の音を静かに聞く様になりました。友達に依存せず、自分と向き合う時間が増えるごとに、心の静けさが増していくように感じたのです。これが、老後の豊かさなのかもしれないと、ふと老人は思いました。この穏やかな時間が、次第に彼の人生にとって、かけがえのないものになっていったのです。 次回つづく
