交通事故による悲しい出来事が
あったばかりだというのに
今度は無差別殺人事件が川崎で
起きました。
犯人は、いわゆる引きこもり
といわれる状態で仕事もせず
両親の年金をあてにしながら
生活を送っていたとの事です。
私のところにも、十数年引きこもり
状態の子をもつ親の相談や、仕事も
せず、暴言を吐きゲーム代のお金を
巻き上げる息子の相談など、、
様々なケースがございます。
そういえば近頃、引きこもりや親離れ
出来ない子で悩む親の相談が増えて
きている様な気がします。
和順庵には、当人と来られる事も
ありますが、大抵ダンマリか親を
罵倒する言動が目立ちます。
なぜこうなったのか、、。
自分がこうなったのも親の責任!!
と言い切る人や社会の責任にする人
受験に失敗して人に会うのが嫌に
なったとか、会社の人間関係に疲れ
たなど、、
理由もそれぞれあって、軽いものから
重たいものまで、症状は様々です。
先日の川崎殺傷事件の予備軍とは言えない
ものの、話しを聞いているうちに、、、
この人は心配だなぁと思える瞬間が
あります。
それは、「殺してやろうかぁ」と親に対して
暴言をはいたり、「いつ死んでもいい、、死
にたい」と口にする人がいます。
最近、小さな子供をみると真っ直ぐに
育って欲しいなぁ、、と思える自分が
います。
素直に自分の行いや存在を理解し
あるがままを受け止める人生であるならば
今の自分を恨む事なく、生きてこれたと
思います。
和順庵に来られる人は、物事を複雑に
捉えて自分ではどうする事も出来ない
くらい糸が絡み合った様な状態にいる
のではないかと考えます。
そうして、絡み合った糸は解く事が
出来ず、いつしか他人のせいにして
いるのです。
最初から悪事を働く人間は居ないと
私の心の声が聞こえてきます。
本当は、誰かに助けてもらいたいけど
自分では、どうする事も出来ないで
いると私は思っています。
そういった事から和順庵がその様な
駆け込み寺の存在になれればと
つくづく思います。
でも、1日2日では解決出来ない
ジレンマもございます。
この問題は、社会全体の事柄として
捉えなければなりません。
全てが便利になった半面、精神は
無智な時代になってきた様な
気がします。
ここで言う無智とは智慧のない時代、、
つまり仏の教えが無くなった世界を
意味します。
この様な悲しい時代にならない様
私達僧侶は、悩める人の為にも
努力精進せねばなりません。