私達の様な行者は、時として世俗に
染まり過ぎると感覚作用が失われ
大地や風、自然の成り立ちを感じ無く
なります。
それは、人間としての自我が目覚め
貪瞋痴(とんじんち)によって苛まれる
事になります。
幼き頃は、だれもが純粋な心を持って
いましたが社会の荒波に揉まれ、貪瞋痴を
増幅させてきました。
貪は欲望、瞋は怒り、痴はグチ。
この状態では、冷静に人、物、金を観る
判断を誤ります。
私の庵に、相談に来られる方も、冷静な判断が
出来ない方ばかりです。
そんな時は、自然に囲まれた寺院を
お参り下さい。
本日ご紹介するのは神護寺です。
京都市街の北西、愛宕山(924メートル)山系の
高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、紅葉の
名所として知られています。
清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩いた
先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの
堂宇が建ちならび空海が東寺や高野山の経営に
当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで
法華経の講義をしたことがあるなど
日本仏教史上重要な寺院と言えます。
次回は、神護寺の歴史についてお話したいと
思います。