朝晩が涼しく感じられる季節になりました
ね。護摩供養の際は、滝の様に流れ出る汗も
ここ最近の冷え込みのせいか、額にうっすら
かく程度です。
護摩供養を続けるキッカケは、自身の家族に
有りました。今から、8年前に弟を亡くしたあ
たりから、彼の供養を兼ねて始めました。
子供は、親よりも早く亡くなると地獄に堕ち
ると言われています。
弟は、独身で当時はニートの生活を送ってお
りました。ですが、決して怠け者ではなく
逆に生真面目な性格が社会に溶け込めなかっ
たと、私は思っています。
護摩供養の際に、何度か弟の声を聞きまし
た。苦しい訳でもなく、ただ一言「何、、」
と返事の様でした。
不思議な事に、その時の護摩供養は、綺麗に
炊けているので、辺りに灰が散らばる事は無
かったと記憶しています。
今は、弟の気配や夢を見る機会は無くなりま
したが、月一の墓参りには、彼の優しさ溢れ
る眼差しが私に注ぎ込まれている様に思え
ます。
人間は、過去を振り返る事なく前を向いて歩
くものですが、弟と父親の死は私にとって今
も寄り添って生きている様な感覚になりま
す。
護摩供養は、この世とあの世を結びつける
導線の様な力があるのかもしれません。
ある時、護摩供養してると不思議な体験を致
しました。それは、首から肩に掛けて棒状の
ものが袈裟がけで振り降ろされた映像でし
た。ある時から、ご縁になった方の護摩供養
をする様になってから、この様な不思議な体
験を度々する様になりました。
後にその方にお尋ねしたところ、袈裟がけに
斬られて亡くなった先祖がいたそうです。
その時、初めて先祖の想いが子孫に対して何
か、訴えているのだと思いました。
それ以来、先祖の供養を大切にする気持ちを
大きく持つ様にしております。
先祖は、私達に何かをして欲しい気持ちと
子孫を守りたい気持ちがある様に思われま
す。ですが、私達は過去を忘れて好きな様に
生きているのです。
先祖は、何もしない、、ただ祀られる存在で
しょうか、、。
私は、そうは思いません。我が子を守るがご
とく、命をかけて心からその子の幸せを願う
母の姿と同じと思います。
私達が心から供養する事で、必ず私達に恩恵
が巡ってきます。それは、私が救われている
からこそ言えるのです。
苦しい時、悲しい時は、故人を偲び先祖を敬
い祈念して下さい。また、継続して下さい。
そうする事で、きっと貴方にも先祖からの
眩い程の光明がさして下さると私は思って
おります。
合掌