人は年齢を重ねる度に、体力が衰え何もかもが億劫になって来ますが、仏道行は心を磨く修行なので、世間と逆行して、感覚は今の方が一番冴えてきている様に思います。若い時は雑念ばかりで、先々の事で不安に思う事が多く有りましたが、今は最善を尽くしながら、全てを天命に任せる様になりました。それは、肩のチカラが抜けた様な、程よい脱力感といえる境地になって来ています。ある日の事、Aさん70歳女性が鑑定にお見えになりました。「先生、私は主人を早く亡くし、今日迄、一人で暮らして来ました。子供は居るものの、それぞれ結婚して、お金を借りにくる時だけ帰ってきますが、お盆や彼岸で有っても、自分の家族が大事と言って、近頃はご無沙汰ばかりになって、帰って来ません。そんな時、知人から投資の話しが有り、この株は必ず上場するといわれ、私の全財産を投資に回わしてしまいました。あれから10数年、、未だに上場せず、貯金も底を尽き、生活の為に来週辺りからパートに出ようと思います。こんな事、子供にも言えないし、、。このまま、この投資話を信用して大丈夫でしょうか、、。」近頃、和順庵には、この手の相談が増えています。老後に不安を抱える方も多くいらっしゃると思いますが、儲け話は他人に話さないものです。もし、株を購入するにしても、その企業を応援するつもりで投資するならまだしも、生活に困窮して迄するのは、ギャンブルと一緒だと、Aさんに伝えました。私の周りに、株で儲けた人もおりますが、決して人任せにせず、何度も勝ったり負けたりを繰り返しながら、今の境地にあるといいます。何事も、努力・研鑽無くしては、欲しいモノは得られません。また、得られたとしても、不安に思う事が出てきます。人間である以上、苦悩する様に出来ているのです。その点、私の様な僧侶は、死ぬまで研鑽の日々が続きます。昨日迄の解釈が今日になって「まてよ、、コレはこの様に解釈する事も出来る。いやいや、、やはり、釈迦は、こうなる事を分かっていて、この様に説かれたのではないか、、。」と、日々発掘の毎日です。この世は、努力したからと言って、全ての願いが叶う程、容易いものではありません。「先生、悟りを得るにはどうしたら良いですか、、。また、いつ頃悟りを得る事ができますか?」と、質問を受ける事が有ります。そんな時は、日々研鑽とお答えします。「この世で、悟りを得た人はお釈迦様以外、、誰も居ません。でも、その境地に近付ける事は出来るかもしれません。それには、日々の研鑽と継続が必要です。」と、言いながら私は、今日も励んでおります。
