ほん怖①

この炎天下の中、熊本で被災された方々の事を思うと、どんな思いで過ごされているのか、心配でなりません。何とか希望を持って、過ごして頂く事を願うばかりです。また、現地に入って作業されている方々には、くれぐれもお身体に気をつけて、現地の人を勇気付けて頂きたい!日本は素晴らしい国です。今までも色んな苦難を乗り越えてきました。今のところ熊本では、ボランティアや寄付金等の発表はございませんが、今後、私なりにできる事を考え、ご協力をして参りたいと思っています。

さて、暑い毎日を過ごす中で、夏と言えば怖い話、、。少しでも涼んで貰う為に、私の不思議というか、アレは一体なんだったのか、、というお話しをしたいと思います。これは、私が小学校2年の頃に体験した不思議なお話しです。当時は近くにスーパーもなく、卵となるとT養鶏場迄、卵を買いに行っていました。Tさんの養鶏場は、小規模でされていたので、自宅の裏が養鶏場になっていました。Tさんは、農協と電話予約のお客様だけに卵を販売されていた事も有り、いつも新鮮な卵を提供されていました。私の時代、卵10個は新聞紙に包まれていて、いつも20個買っていた記憶があります。当時の価格で確か20個で120円位だったと思います。「利和、Tさんの卵屋さん知ってるやろ、、。今日は一人で行って貰って来て。コレお金、、。」と言われ、私はTさん宅に向いました。いつもなら、母と一緒に行く時は、おばちゃんが出て来て、卵を貰っていたのですが、私が一人で行く様になってから、玄関横の和室に、お婆さんが布団に寝ていて、その枕元に注文した卵と、小さな缶が置かれていたのです。私は、その缶にお金を入れて、お婆さんが起きない様に静かに部屋を出る様にしていました。「お婆さん、今日も寝てたでぇ、、。」「お婆さん?おばちゃんやろ、、。帰って来たんかなぁ、、?」「おばちゃん、ちがう。でも、怖かった。」「何で怖いの?寝てたんやろ、、。」「僕が出て行くと、寝ながらジーッとこっちを見るの、、。」「それは、ちゃんと卵を持って帰ったか、見てはるんやろ。」と母は、その情景を不思議とは思っていませんでした。ある日の事、いつもの様にTさん宅に卵を貰いに行くと、お兄さんが新聞紙で卵を包みながら、他の人と話していました。「これから一人でやっていかなアカンし、大変やなぁ、、。」「ご迷惑をかけます。」と、言いながら、「白井さんとこは、二つだったね。」と、手早く包んでくれました。それから、いく日か過ぎた頃、私は夏休みに入りました。夏休みになると、私と弟は、母親の実家に2週間遊びに行く事になっていました。母親の実家は、裕福な家庭で、叔父は地元中学の校長の傍ら、林業・農業もされていました。ですから、私達が泊まりに行くと、食べたいものが有れば、週に2度来る移動式販売で、好きな食べ物やお菓子を買ってくれたり、叔父さんが作った自家製スイカ、それ以外にも、公民館に隣接しているプールで、地元の子供達と遊んだり、近くの山にカブトムシを捕まえたりと、いつも夏休みが待ち遠しく感じる程、楽しい毎日を過ごしていました。その楽しい2週間が過ぎ、家に帰ったある日の事、母が「利和、Tさんの卵貰って来て、、。」「分かった、、。」と言って、Tさんの家に行きました。すると、玄関に白い紙が貼っていました。子供の頃は意味が分からず、何かが貼ってある程度に思ってたのですが、たぶん「忌中」だったと思います。「卵貰いに来ました、、。」と言うと、いつもの障子戸の部屋は閉じられていて、玄関先に卵と缶が置かれていました。「今日はどうして?」と、戸惑いながらも、お婆さんの寝ている部屋が気になっていました。イタズラ心に私は、お婆さんの寝ている部屋の障子戸に手をかけると、布団をめくる音がしたので、一瞬叱られると思い、少し開けたところで、一目散にTさんの家を後にしました。それから数日が過ぎた頃、「利和、Tさんとこ行って、卵貰って来て、、。」「お母ちゃん、今日は行きたく無いねん、、お婆さんに怒られると思う、、。」「お婆さん?アンタ、前もお婆さんって言うてたけど、アソコにはお兄ちゃんとお兄さんのお母さんしか居ないよ。Tさんのおばちゃんは、ちょっとまえに病院で死なはったわ。」「じゃあ、誰も居ないの?」「おばちゃん、ずーっと入院してから、一回も家帰ってへんって、息子さん言うてたから、そんな、お婆さんって、いるはずがないから、、。」「でも居たもん。」「アホな事言うてんと、早よ貰ろて来て!」と、母親に強く言われたので、私はその時の状況が理解出来ぬまま、Tさん宅に行く事になりました。 つづく、、。

倉敷美観地区

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