今日もまた、悩みを抱える方がお見えになりました。悩みは、どうして起こるのでしょうか?その難問に向き合われたのが、お釈迦様です。厳しい修行の末、辿り着かれたのが、四諦八正道(したいはっしょうどう)でした。
四諦とは、悩みの根本原因と、それを終わらせる方法が説かれています。
1、苦諦(くたい)人生には生老病死という、本質的な苦があることを自覚する。
2、集諦(じったい)苦は煩悩や欲、執着が原因にして起こることを明らかにする。
3、滅諦(めったい)苦の原因を滅することが、苦の消滅に繋がることを認識する。
4、道諦(どうたい)苦を無くし悟りの境地に達する方法が八正道(はっしょうどう)であるということ。
この道諦に示されている八正道こそ、様々な苦しみを除く道筋だということが説かれています。
では八正道とは、
1、正見(しょうけん)偏りを無くし正しい物の見方をする。
2、正思惟(しょうしゆい)自分勝手な考えではなく、正しい思考を持つ。
3、正語(しょうご)嘘をついたり、二枚舌を使わず、相手の身になりその場に応じた正しい言葉を使う。
4、正業(しょうごう)間違った行為に走らず、正しい行いをする。
5、正命(しょうみょう)人に迷惑をかけず、正しい健全な生活をおくる。
6、正精進(しょうしょうじん)正しいことに努力を惜しまず励む。
7、正念(しょうねん)邪念を払い、正しい意識を持つ。
8、正定(しょうじょう)心身を整え、安定させる。
これを実践することができるならば、多くの苦しみから解放されるのです。
でも、これは、お釈迦様の境地で有り、我々が実践するには、難しい教えだと、私は解釈しております。しかも、お釈迦様が完成された仏教は、弟子のアーナンダがお釈迦様が語られた事を記憶し、口伝した教えでなのです。つまり、お釈迦様が「ココはこの様な意味だよ。書き記し残しなさい。」と言われた事ではないのです。「如是我聞」と、お経の冒頭はコレで始まります。コレは、アーナンダが「私はこの様に聞きました。」という意味です。ですから、仏教は我々には、理解し難い、奥深い教えが有る様な気がします。日本には、たくさんの宗派がございます。皆さんは、何故、、って疑問に思われた事はないですか?同じ仏教なのにどうしてって、、。そこには、それぞれの宗派を開かれた宗祖の解釈によって、色々な教えが有るのです。それぞれの宗派が有る様に、お釈迦の仏教は、人によって、感じ方や捉え方が違うという事が分かります。では、四諦八正道を実践し、本当に幸せになるのでしょうか?私は、敢えて疑問を付けさせていただきました。しないよりは、やったほうが良いし、近付ける努力は必要だと思います。しかし、人間の本心と、この世界の有り方を理解しなければ、コノ教えが人間界で通用しないかも知れない事が理解出来ます。 つづく。
